あいちトリエンナーレ 2019 サカナクション 暗闇 KURAYAMI@愛知県芸術劇場大ホール_20190810

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サカナクションの公演ということで予約したが、内容は普段のライブとは異なる、芸術祭にあわせた特別なイベントとなった。テーマは、暗闇。最終的には視覚が全く効かなくなる実験的な演出で、その旨は徹底的に周知され、公演も冒頭でプラクティスとして予習がなされるほどだった。しかし…どちらかというと最終第四幕以前における光の点滅のほうが警告する必要が高かったのでは…。

全体的な印象は、宇宙船地球号的なニュアンスか。演出で一番面白かったのは、想像以上に長く広い奥行きある舞台を演奏終了後にメンバーがはけていくところ。延々歩いていったところで暗闇に溶けるところは良い演出だった。

プラクティス

チューニング リズムのずれ

第一幕

Ame(C)

第二幕

変容

第三幕

第四幕
闇よ 行くよ
(演出なし完全暗転)

基本的にこの手の公演は実験的なアート演出になりがちだが、今回の公演ではサカナクションの既存の曲も活用された演出となっていた。一方で目玉であろう完全暗転の最終幕よりも、それ以前の光も使った演出のほうがより面白いものに見え、手法を縛った演出はアートとしてありえても実際には面白みに欠ける気がした。このあたりがアートの限界、つまらなさかもしれない。

隠れている意味を表出させることはできても、未来を見せてくれるものにならない。プリミティブなものを表現しても、今見たいものはそちらではないからなぁ。表現者と、それを消費する側とのズレかもしれない。こちらは色々あるなかでの出会いなので、単独の表現者の考える文脈とは違うところで生きている。そこのズレかな。

暗闇で気づいたこと。完全なる暗闇のなかで目を開け続けるのは辛い。なので目をつむってしまう。暗いこと自体は全く不安も何もない派なので、その点で面白みを感じなかった部分もあるのかもしれない。それと、神社仏閣的な仕掛けを演出に取り入れていたが、お寺さんなんかはトリップへの導入剤として音や読経、静寂、暗闇などを使っていたんだろうなぁと。昔のポップアートの最前線は寺社だったはずなので。逆にいえば今のポップアートの最前線は、音楽ライブの現場にあるのだろう。実際、今回のサカナクションは実験的なアートだったけれど、たとえばMaison Book Girlなどは本公演でアートなものを見せているわけで。

ところで今回、開場後に物販を買おうとしたら、なんと殆どが品切れだった。聞くと、夜の回は夜の回で別途用意しているのでそれを入荷販売するという。は?上演の前に先行販売しているが、それは当回のチケットがない人でも買える。そこで売り切れになってしまうらしい。え?なにそれ?逆じゃね?チケット持っている人に販売して、開演後に持ってない人に売るのがルーティンでは?誰が仕切っているのか知らないが、素人なの?反省してほしい。買う気になってたのに。スマチケとか導入してて物販はこれかい。現金のほかはorigami payしか使えないっていうからオリガミ用意して準備してたのに…。

さて。あいちトリエンナーレ。せっかくだからトリエンナーレ自体のチケットもとろうかと思っていたが、チケット発売前に公式ページを見に行くと、芸術監督が津田大介氏とあり、うーん…その他の面々も気になる名前があり、これはちょっと想像するようなアート展にはならないのかしらんと警戒、購入を見送っていた。すると案の定の展開に。

まず、脅迫は最低である。そんなものをする人はどんな主義主張だろうと論外。ただの犯罪者である。

一方、展示企画をするなら、それを中止するという判断は運営として未熟。出演者がいて、脅迫が寝耳に水であれば、それは人命にかかわるので中止も致し方なしだろう。しかし、出演者がいるわけでもない展示企画で、物議を醸すことが大前提、想定の範囲内のことが起こって中止するとは、覚悟がないか、マッチポンプでこれも話題にしたいか、どちらかだろう。いずれにしても芸術監督のやることとしては最低である。

さらに、元々の展示内容がひどすぎた。表現の不自由、というのであれば、不自由とされたものを数多集めてくるのが基本。それがある特定のイデオロギーに寄っているのであれば、それはイデオロギーのための展示であり、アート展ではない。アートが主ではなく従となる、そんな芸術祭はアートにとって最も醜悪なものである。言いたいことあるならそれをまぶした上で何でもかんでも持ってくりゃ良かったのに…。この点で芸術監督が未熟すぎた。というよりそんな未熟な人物に芸術監督を任せた側の責任である。任命者は芸術監督ともども、二度とアートに関わってはいけない。だって、アートになんか特に興味もないんだろう?

アートは、イデオロギーだの政治だのよりも上位であってほしい。違う次元のものであってほしい。所詮アートは、技術であり、手段である。目的ではない。他の目的のために用いられるものである。だが、だからこそ、目的をねじ伏せるぐらいのパワーがほしい。手段が目的を凌駕して、称賛され、目的したこと以上の価値を見いだされ、別の目的に転用されるようなものであってほしい。そのためには、過去や現在ではなく、未来につながるものであってほしい。アートには、未来を見せてほしい。希望であってほしい。それを担えないアートには用がない。

アートがなにかを主張するための道具にすぎないなら、それはアートの堕落である。

あいちトリエンナーレ 2019 サカナクション 暗闇 KURAYAMI@愛知県芸術劇場大ホール S席\5,800-

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